“尊敬と憧れのベール”

人生についてまじめに考えてみた!

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みなさま こんにちは。とりとりです。

人生っていったい何だろう、なぜわたしは生きているのだろう、どこに向かって生きていけばいいのだろう、そう思いながら生きているわたしです。

そこで自分なりに答えを探してみようと思います。

『人生とは、人々の幸福のために、天から人々のうちくだった光が、あまねくゆきわたることである』紀元前六世紀に孔子はこういった。愛の論理 飯田史彦

すごく美しい文章だと思いました。あまねくを辞書で引いてみたところ、広く。一般に。という意味でした。

紀元前6世紀という大昔にもうこのような考え方があったことにまず驚きます。
70億人みなに光、食べ物や住まい、衣服といったものになるのでしょうか。
絆とか思いやりといったものも含まれるように思います。
が、届くこと、それが人生であると孔子さんはおっしゃっているわけですね。

違う点もあるとは思いますが、解釈等ご存知の方がいらっしゃれば教えていただければ幸いです。

人生とは個としての自分が、どのように生きていくかという意味合いが強いものだとわたしは思っていました。
孔子さんの視点は神さまのような視点ですね。
このような視点をわたしも持ちたいと思います。

また今日の日本の平和は、言わずもがなですが平和を創り上げた偉大な先人の人々のおかげですね。
感謝です。

『人生とは、ますます大きな幸福にたえず到達しようとする魂の遍歴であり、完成である』おなじ時代のバラモンたちはこういっている。愛の論理 飯田史彦


遍歴 とは、さまざまな経験をすること、と辞書にありました、
人は生きていくうえでしあわせを求めるし、向上心の強い人は絶えず自分の目標や志を達成するために努力を続けていると思います。

そんな人はきっと自分で納得できる完成の人生を送ることができるのでしょう。
完成できるように頑張りたいものです。

『人生とは、幸福なネハンに到達するために、自分をすてることである』孔子の同時代人、仏陀はこういった。愛の論理 飯田史彦<<

ネハンとは、すべての煩悩を滅した、仏教の理想とする境地といった意味でした。

自分をすてる、つまり利他の心をもって行動することがしあわせになるために大切なのだと思いました。

人のために生きているようなひとは、その行いそのものが、幸福を体現しているのだと思います。さすがです。

『人生とは、幸福になるために、謙遜と卑下とに徹する道である』やはり孔子の同時代人である老子はこういっている。愛の論理 飯田史彦


前者とはうってかわって、なんとも忍耐の要素が強いですね。
卑下はへりくだること、と辞書にありました。
自分のことをおごらず、謙虚でいるような人はそれだけで好かれると思います。

『人生とは、神の掟をまもりながら人が幸福になれるように、神が人のうちに吹き込んだ生命の息吹である』ユダヤのある賢人はこういっている。愛の論理 飯田史彦


人が神様に守られているように感じさせてくれる、とてもすてきな定義だと思います。
聖書に理解ある方はもっと深い意味がお分かりになるのでしょう。

人生は、不思議な驚嘆すべきものごとで満ちている。意図しなかったことではあるが、自分が思いもかけない道を歩ませられ、それがそれなりに意味があったことを発見できた人は『人生はすばらしい』と言うようになる。その人は成功者なのである。そういう境地に達するには、自然の成り行きこそ神の望むところだったという認識が力を発揮している。 ないものを数えて生きていく 曽根綾子


人生はすばらしいと言える人、そんな人はきっととてもすてきな人であり、自分の中の大きな壁、また試練を乗り越えた強靭な人でもあると思います。

iPhoneやポーチ、ペン、机、どれをとってもどうしてこう精巧なものがつくれるのだろうと不思議に思わずにはいられません。

歴史のうつり変わりをみても、本当にそんな時代があったのかと、自分にはまったく関係のないことのように思えてしまう面があります。

神さまに望まれた、そう信じることは個である人にとって大いな助けになってくれるものだと思います。

人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間にあたらしく生まれかわって運命をひらくのだ、捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。 自分の中に毒を持て 岡本太郎


人々を鼓舞する力を持っている文章だと思います。
変えられるものは自分と未来だといいますが、それをすごく後押ししてもらえる気がします。
怒りや恐れといったものは手放せる限り手放した方が良いと思います。
何よりも自分自身が楽になります。


みなさまに良きことがありますように!!